就職する前にSHIROBAKOを見なくて良かった
面白いですね〜
また筆者の病気が発症しまして今更ですが見てます。
現時点で12話まで見たんですが仕事への悩みやギャップ、将来への不安を抱えながらも決断し、夢に向かって一歩ずつ進んでいくキャラクターたちに胸を打たれました。
主人公の宮森あおいは今のところ将来に迷っているようですが、目の前の仕事をひたむきに取り組む彼女の姿は美しいです。
それはそれとして、
本当に就職前に見なくて良かったと思いました。
人生の決断全てがアニメの影響で決まっている僕が就職前にこんな面白いアニメを見たら絶対制作進行の仕事しますもん。
SHIROBAKOはアニメなのでそれほどですが、実際の制作進行に良い話を聞いたことがありません。給料は少なくもっともっと激務なはずです。
会社によるとは思いますが業界としてブラックなのは確実だと思います。
それでも今の仕事が嫌なのでちょっと考えてる自分もいますがそんな時は
「ハッカドールTHEアニメーション7話 KUROBAKO」
を見て気持ちを落ち着けます。
業界のことは良く知りませんがSHIROBAKOとKUROBAKOで近いのは恐らくこっちだと思ってます。
とにかく就職前にSHIROBAKOを見なくて良かったと本当に思いました。
ただドーナツを良く食べるようになりました。太る一方ですね。影響を受けるのならこの程度がちょうど良いのかも知れません。
大切なのは真実に向かおうとする意志
ジョジョの奇妙な冒険第5部黄金の風ではこの『真実に向かおうとする意志』に相反する考えとして、ラスボスであるディアボロの「この世には結果だけが残る」という言葉があります。
ディアボロのスタンド能力「キングクリムゾン」は時間を切り取って飛び越える能力であり『過程』を吹っ飛ばして『結果』だけを得る。というもので能力からして『真実に向かおうとする意志』とは相反しています。
そこで皆さんはどう考えますか?
実際この世は結果だけが求められることも多々あります。過程はどうでも良いからとにかく結果、成果を求められます。受験、就職、仕事など人生において重要な場面は特に結果を求められる勝負の世界だと思います。
ですがアバッキオの同僚の警官が言うように、結果だけを求めていると近道をしたがるのが人間の性です。
焦りや不安、自分の利益など様々な理由から人間はズルをします。時にはそれが犯罪行為まで発展してしまうこともあります。
結果だけを求めていると真実を見失います。
その点、真実から出た誠の行動は決して滅びはしません。
真実からの行動であればそれが一見無駄だったとしてもそこには向かおうとする意志があります。いずれは真実へ辿り着くことができます。向かおうとしているのだから。
過程が大事という言葉はこの『真実に向かおうとする意志』ということだと僕は思っています。
僕は結果よりも過程が大事だと思っています。たとえ様々なことに失敗し、世間一般からは負け組として見られたとしても、自分が納得し真実に向かおうとしたのならば、それは誇らしいことです。結果がどうであれ成功していると僕は思います。
吐き気をもよおす邪悪に自分がなっていた話。
吐き気をもよおす『邪悪』とはッ!
なにも知らぬ無知なる者を利用する事だ……!!
自分の利益だけのために利用する事だ…
ジョジョの奇妙な冒険第5部黄金の風の登場人物
ブラーノ・ブチャラティの名言である。
僕は今この『吐き気をもよおす邪悪』になってしまっている。
なにも知らぬ無知なる者につけこんで自分たちの利益だけのために利用している。
ブチャラティはこの後、自分の心を騙していたボスを裏切り、自分の正しいと信じる道を行く。
オレは「正しい」と思ったからやったんだ。後悔はない…こんな世界とはいえオレは自分の「信じられる道」を歩いていたい!
他にも第3部の登場人物ジャン・ピエール・ポルナレフのセリフでこんなものがある。
今…感じるこの感覚は…おれは「白」の中にいるということだ…DIOは「黒」!ジョースターさんたちは「白」「黒」と「白」がはっきり別れて感じられるぜ!傷ついた体でも勇気が湧いてくる「正しいことの白」の中におれはいるッ!
僕は今「黒」にいる。はっきりとわかる。
ジョジョは僕の人生観に大きな影響を与えている漫画だ。今回、僕の悩みもジョジョの登場人物たちが導いてくれている。
僕はある程度まとまったお金ができたら、今の職場を離れようと思っている。1年間本気の節約生活で出費を抑え、夢があるのでその資金に回すつもりだ。
これからの人生は自分が「正しいことの白」の中にいると胸を張って言えるように、自分の信じられる道を歩いていたい。
人の役に立つことがしたい。
僕は生まれてきてこの方、自分のことを優しい人間だと思ったことは一度もない。仲の良い同僚が残業していても手伝わずに帰るし、人に合わせて行動するというのが苦手で自己中心的に生きている自覚がある。
自分の利益にならないことは基本的にはしたくない。
だが僕が心を開いた人は多くが僕のことを「優しい」と言ってくれる。嬉しい気持ちがある反面、不思議に思っていた。なぜ僕のことを優しいと評価してくれるのか、こんな人間のクズの僕を。自己中心的で性格が悪くて捻くれ者の僕を。
答えが最近やっと見つかった。
僕は心から人の役に立つことがしたいと思ったのだ。
今の仕事は前回の記事にも書いた通り、できるだけ高い商品を営業し、販売することによって給料がもらえる。それはお客様の生活を苦しめている可能性がある。
前回の記事
https://not-life-hack.hatenablog.com/entry/2020/05/13/194949
僕はそれをしたくない。見知らぬ誰かであっても不幸にしたくない。
こんなことを僕が思うとは考えてもいなかった。実際に働き始める前は、どんな汚いこともお金さえ貰えればやれると思っていた。
でも、できなかった。人間はなんでもやってみないとわからない。僕は僕自身のことをまったく理解してなかったのだ。この悩みを心を開いた人に打ち明けたら、涙が自然に流れた。号泣してしまった。
僕が心を開いた人は、僕の根底にある心に気づいてくれていた。僕はクズで自己中心的で性格が悪くて捻くれ者だが、人を苦しめるようなことはしたくないと本気で思うことができる人間だった。
その部分を優しいと評価してくれていたのだろう。
僕よりも僕を理解してくれる人がいることがとても嬉しかった。
今は人の役に立つことがしたい。自分自身が納得でき、誇りを持てるようなことをしたい。
僕が欲しかったものはお金ではなかった。誇りだった。
このことに気づくまでにとても長い時間がかかってしまった。
これからはこんなちっぽけな僕でも人の役に立つことをしたい。
僕の本心にやっと気づくことができた。
企業の目的は結局金儲け
そう思った。企業としては当たり前のことだ。お金がなければ会社の運営はできない。日本の企業は昨日よりも今日、今日よりも明日の売上を伸ばすことが目的だ。
そうして得た売上から僕たちは給料を受け取り、生活している。
ではその売上を伸ばすためにしていることは何だろうか?
より良い商品を開発し、買い手を増やすこと?
労働時間を伸ばし、単純に業務スピードをあげること?
様々な取り組みが企業によってあるだろう。
「お客様にあった商品を提供いたします。」
業種は伏せますが、僕の会社ではこのように謳っている。
しかし、売上を伸ばすにはやはり金額の高い商品を売る必要があります。その為に言葉巧みに高い商品を買ってもらえるよう営業をかける。
企業にとってそれが最も重要なことはわかっています。それが僕たちの給料になっていることもわかっています。
ですが、僕は苦しい。
営業が成功すれば僕たちの給料は上がり、生活は豊かになる。その一方でお客様の方はもしかしたら僕たちの営業が原因で生活が苦しくなっているかもしれない。
言葉巧みに営業し、誰かの生活を苦しめているかもしれない。僕が受け取ったのは、そんな風にして得たお金なんだ。
そう思ってしまって最近心が沈んでいる。仕事として割り切ることができない。
これは僕がただ若いからなのか、お金の本当の価値を知らないからなのか、原因は今はわからない。
ですが、今の僕はこんなことをしてまでお金を稼ごうとは思えない。自分のお金を稼ぐために人を苦しめることはできないし、そんな人間になるのは嫌だ。これだけは、はっきりと言い切れる。
僕はスーツを憎んでいる。
就職活動をしていた頃、僕は兄のお下がりのリクルートスーツを着ていた。兄は僕よりも体の線が細く、かなりぴったりと着る羽目になってしまった。
そのリクルートスーツを一日中着ていると、ズボンが破れないように気をつけて座る必要があり、帰宅した後には肩がとても痛くなった。
しかし、当時はスーツを着ることがなんとなく大人に近づいた気がして嬉しかった記憶がある。スーツが一番カッコいい服装だと思っていたからだ。それに就活してる真面目な自分を客観視して面白いと思っていた。
就活を始める前散々先生やら先輩に就活は大変だと脅されていたが、ちゃんと計画して取り組めば単純なことで、生活に支障はなかった。
思えばいつもこんな感じな気がする。受験は大変だ、中学生は大変だ、高校生は大変だ、大学生は大変だ、就職活動は大変だ。新生活が始まるごとに経験者は脅しにかかってくる。実際始まってみれば最初は緊張や不安で上手くいかないことはあったが、ある程度時間が経てば慣れていき、特に継続して大変だと感じたことはない。
話が逸れたが特に就活が大変だと思うことのないまま、内定が決まった。売り手市場だったのが幸運だった。
僕の職場は身だしなみがとても大切な業種だ。スーツも自分の体のサイズに合うものを買った。
毎日スーツを着ていて気づいたことがある。
僕はこの服がとても嫌いだということを。
朝起きてシャツを着てネクタイを締め、スラックスにベルトを通して履き、ジャケットに袖を通す。そのたびに違和感があり、なんて気持ちが悪いんだ。と思う。
本来の僕はダルダルのスウェットで外出するし、自宅でも何年も前に買った寝巻きで生活している。そんな自分が小綺麗な格好をして貼り付けた笑顔で出勤し、人と接する。
ありえない。そんなことが本来の僕にできるはずがない。僕は大学時代、バイト先での挨拶は「おざぁーす。」だった。
そんな自分が頭を下げて「おはようございます!」だ。嘘だ。全部嘘。「おはようございます」なんて毛ほども思っていない。
スーツは僕に嘘を吐かせるための鎧だと思っている。嘘はつきたくない、しかしこんな僕は嘘をつかないと社会では生きていけない。仮にダルダルのスウェットで出勤して良いとなった場合、本性が現れて僕は真っ先にクビだろう。
昔はスーツ姿をカッコいいと憧れを持っていたが、今ではその憧れは憎しみに変わってしまった。
だが僕はスーツを着ないと今、生活することはできないだろう。仕事をしなければご飯を食べることができない。
スーツを憎んでいながら、スーツがないと生活できない。そんな葛藤を抱きながら僕は明日もジャケットに袖を通す。
僕は人類で一番の大嘘つきだ。
今の日本に必要なのものは「ニッポン笑顔百景」である。
応仁の乱 大飢饉さえ クリアして現代 日本人
こちらはアニメじょしらくED「ニッポン笑顔百景」の一節です。
まさしく今の日本に必要な楽曲ではないでしょうか?
私たちの先祖はそれこそ現代人の私たちが想像することもできないような過酷な体験をしてきたことでしょう。
今では滅多なことがなければ起こることのない日本人同士の命の取り合い、それが終結しても今度は外国との戦争、無差別に人を襲う大災害。
そんな絶望的な状況も、先祖たちは日本という国を守り、今では国内での争いは少なくなり、多くの国民が平穏に暮らすことができています。
人々は苦しい時には協力し合い、過酷な危機を乗り越えてきたのです。
私たちの偉大な先人たちに応えるためにも、コロナウイルスという巨大な危機に負けずに笑顔で乗り越えましょう。
同じ日本人の先祖たちには出来て、現代人の私たちができないなんてことはありません。日本国民全員が協力し合うことができれば、絶対に乗り越えられることができます。
再三言われていることだとは思いますが、私のような一般人に出来ることは、極力家から出ないことです。不要不急の外出は控えましょう。
そうすればきっと、いつもの日常が戻ってきます。
笑う門には福来たる!!